シロの埋葬屋1-2


 トントンッ
 その日、不意に家の扉をノックする音が響きました。
 私の家に来訪者が来るなんて、シロロ以来のことです。
 私は誰だろうと思い、扉の外へ声をかけました。
「どちら様ですか?」
「私です」
 声が返ってきました。
 聞き覚えがあります。
 どこか幼くて、それでいてハキハキした声。
 私は、確かにこの声を聞いたことがあります。
「私では分かりません。どちら様ですか?」
「私は私です。名前が"シ"で始まる私です」
 その言葉でピンときました。
 シロロです。
 彼しか思いつきません。
 私はすぐさま扉を開けました。
 三年ぶりの少年の来訪が、私の腕を突き動かしたのです。
 あと四回。
 その言葉通り、シロロは確かにやって来たのです。
 そして、シロロはまた私に言うのでしょう。
 ご主人、埋葬屋に用はありませんか?――と。
 しかし、期待した言葉は返ってきませんでした。
 来訪者は、シロロではなかったのです。
「お久しぶりです」
 来訪者は、女性でした。
 お久しぶり、と言うからには、私の顔見知りなのでしょう。
 しかし、私は彼女の顔を思い出すことが出来ません。
 名前も思い出せません。
 彼女はいったい何者でしょうか。
「あなたはいったい誰ですか?」
 私は正直に尋ねました。
 私の質問を受け取ると、彼女は少し残念そうな顔をして、
「忘れてしまったのですね。無理もありません」
 すぐに、笑いかけてくれました。
 なぜ、私なんかに笑ってくれるのでしょう。
 私は、彼女のことを覚えていないのに。
「私は、名前が"シ"で始まる私です」
 シロロではなく、名前が"シ"で始まる私の知り合い。
 いたでしょうか。
 もう何年も人付き合いをしていないせいか、シロロ以外の人間を思い出すことが出来ません。
 私を育ててくれた親はどんな顔だったろうか。
 私の家族はどんな名前だったろうか。
 そもそも私は、なぜ一人で暮らしていたのだろうか。
 分かりません。
「悩む必要はありません。私は名前が"シ"で始まる私です。あなたもそう思ってください」
 彼女はそう言って、頭を抱える私を諭してくれました。



 それから、彼女は私の家で暮らすようになりました。
 名前が"シ"で始まる私。
 それでは名前を呼ぶのに不便なので、私は彼女をシルファと呼ぶことにしました。
 なぜその名で呼ぼうと思ったかは分かりません。
 単なる思い付きかもしれません。
 それでも、彼女の名前は"シ"から始まるのだから問題はないはずです。
 彼女は私が名前を呼ぶと、いつも笑顔で返してくれます。
 私には、その笑顔が太陽光よりも眩しかった。
 太陽光よりも眩しいのだから、目が眩むのもしばしば。
 そのたびに私は目を細め、彼女の微笑みに答えました。
 シルファと過ごす毎日は、眩しすぎたのです。


 高貴な雰囲気を漂わせるブロンドの髪は、とても私には似つかわしくなく。


 一国の女王もが羨むような顔立ちは、とても私とは不釣合いで。


 聖母の様な優しい性格は、とても私なんかには勿体無くて。


 彼女の微笑み、彼女の優しさ、彼女の美しさ。
 人間が太陽を見続けていられぬように、私はシルファを見ていられぬようになりました。
 彼女が笑うたびに私は眼を痛め、
 彼女が優しくするたびに私は心を痛め、
 彼女がいてくれるだけで私は苦痛を感じました。
 違う。
 私が望んだ来訪者は、彼女じゃない。


 シルファの優しさに触れることが、私にとっての苦痛でした。


 シルファの作ってくれた夕食を口にするのが、私にとっての苦痛でした。


 シルファが花や動物に語りかけている様を見るのが、私にとっての苦痛でした。


 なのに、


 シルファはいつも私の隣にいてくれました。


 世間から逸脱し、たった一人で暮らしていた私の傍に、ずっと。


 春の暖かい日も、シルファは隣で笑っていました。


 夏の暑い日も、シルファは隣で笑っていました。


 秋の涼しい日も、シルファは隣で笑っていました。


 冬の寒い日も、シルファは隣で笑っていました。


 私は苦しさのあまり、寝込んでしまいした。
 頑なに眼を閉じ、太陽よりも眩しいシルファを視界から外しました。
 それでも、シルファは優しかったのです。
 寝込んでしまった私を必死に看病しようと、毎日毎日私の傍で、看病をしてくれました。
 私には、苦痛でした。
 苦痛に耐えられなくなった私は、意を決してシルファに言いました。
「無理をして私の傍にいなくてもいいんだよ」
 これが、私の精一杯の言葉でした。
 シルファの行動が優しさからくるものだと分かっていたから、私はこんな風にしか言えなかったのです。
 だからというわけではないのですが、シルファは私の言葉に対して、
「気にしないで下さい。私は、好きであなたの傍にいるのです。無理をしているなんて、とんでもない」
 優しいシルファがそう言うことなど、初めから分かっていたのです。
 分かっておきながら、私はシルファにそれ以上言うことが出来ませんでした。
 本当は、傍にいて欲しくなんてない。
 誰だって、太陽が真横にあったら嫌がるはずです。
 私は、シルファが傍にいるだけで苦痛だったのです。
 でも、優しいシルファはそれが分かってくれません。
 だから、私から彼女の下を離れようと思いました。
 シルファが私から離れてくれないというのなら、私から。
 しかし、私はシルファから逃げられませんでした。
 重い身体を引きずり、家を出て行こうとしても、
「無理をしてはいけません。無理をしてはいけません」
 そう言って、シルファは私の傍に付いてくるのです。
 何度試しても、無駄でした。
 私は、シルファを振り払えない。
 私は、シルファから逃げられない。
 耐えられない。
 耐えられない。
 耐えられない。
 シルファが、傍にいなければ。
 シルファが、いなければ。
 シルファが、消えてくれれば。
 シルファ
 消えて。



 次の春。

 
 シルファはいませんでした。


 私の下から、いなくなってしまった。


 どこに行ったのか、私には分かりませんでした。


 探しても、探しても、探しても、


 シルファはいませんでした。


 シルファが、消えてしまった。


 ――――――――嬉しい。


 私は、再び一人になりました。
 シルファが消えて、再び一人に。
 もう、太陽の光を眩しいと感じることはありません。
 私は、一人なのだから。
 こんなに喜ばしいことはありません。



「あなたは誰ですか?」
「シロロといいます。埋葬屋をしております」
 シルファがいなくなってから数日。
 今まで人なんて滅多にやってこなかった私の家に、訪問者がやってきました。
 シロロと名乗った彼は、春だというのに暑そうなロングコートを着込み、背には巨大な棺桶を背負っていました。
 頭には鍔広の帽子を被り、視力が悪いのか、眼鏡をしていました。
 年齢はまだ子供でしょう。背丈は私の胸にも届いていません。
 そして、一番おかしなところは。
 着込んだコート、巨大な棺桶、鍔広の帽子、彼が身につけている全てのものが。
 白。
「ご主人、埋葬屋に用はありませんか?」
 唐突なことを尋ねる少年でした。
 人によっては無礼にも思えるような質問です。
 自分で言うのもなんですが、私は別段怒りっぽい性格というわけでもありません。
 だから私は平静を保った声で、「いいえ、ありません」と返しました。
 するとシロロは、「そうですか」と無表情で答えました。
「では、また明日来ます」
 私とシロロの会話は、一分にも満たなかったことでしょう。
 何が目的だったのかは分かりませんが、シロロはそれだけ言って帰っていきました。
 明日また来る、と言っても、いったい何をしに来るつもりなのか。
 私は、埋葬屋なんかに用はないのに。



 翌日、シロロは宣言通り我が家へ来訪しました。
「ご主人、埋葬屋に用はありませんか?」
 昨日と全く同じ質問を投げかけてきました。
 まさか昨日今日で埋葬屋を呼ぶような事態が起こるはずもなく、私は昨日と全く同様に、「いいえ、ありません」と返しました。
 するとシロロは、「そうですか」と無表情で答えました。
 昨日と一字一句違わないやり取りです。
 私はシロロの目的の分からない行動に、首を捻ります。
 そして、昨日と違う点が一点。
「あと、四回来ようと思います」
 帰り際に、シロロがそう行ったのです。
「では、また明日来ます」
 やっぱり、会話は一分も続きませんでした。



 ――あと四回です。
 ――これは、私があなたの家に来訪する回数です。
 ――でも、それは一日で一回というわけではありません。
 ――早くお気づきになることをオススメします。
 ――私が背負う棺桶の中にいる、彼女が怒り出さない内に。
 ――埋葬屋に用があります。
 ――そのことに気づくべきです。
 ――チャンスはあと四回です。
 ――あなたはそれまでに、四度苦痛を体験する羽目になります。
 ――そして、チャンスは一回分減っていくのです。
 ――なぜあと四回なのか分かりますか?
 ――それは、彼女がとても優しいお方だからです。
 ――こんなに寛大な死者はいませんよ。
 ――だから、早く思い出してあげてください。
 ――早く、認めてあげてください。
 ――そして、ちゃんと供養してあげてください。
 ――その際には、一言謝罪することをオススメします。
 ――でなければ、彼女があまりに可哀想だ。
 ――私が次に来訪する時。
 ――その時は、違った返事が聞けることを期待しています。


(おわり)